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観光スポット

木浦歴史の始まり、木浦津

木浦津は、朝鮮時代に水軍の鎮営であり、木浦営·木浦台とも呼ぶし、万戸が配置されたからといって万戸鎮、万戸営、万戸庁などとも呼ばれた。地理上に見ると木浦は栄山江河口を抱えているし、海に連結される地理的な要衝の地に位置して、湖南と慶尚南部地域に通じて税穀運搬路として使用される要所に位置している。 そのような理由で木浦は朝鮮初期からその重要性が浮彫りになって注目されるようになった。

木浦津 VRビュー

文献によると津城の規模は石垣の周り1,306尺、高さ7尺34寸だったし、井戸や池がそれぞれ1ヶ所ずつあったという。その後、木浦津は朝鮮半島西南海の防御地域としてその役割を果たしたが1895年(高宗32年)7月15日高宗勅令第141号によって廃鎭された。

開港当時には庁舎の一部が残っていて務安監理署、日本領事館又は西域と交流する基地に使用されたが、その後毀損されて木浦津の遺跡碑だけが残っている所を2014年現在の様子に一部復元した。日帝強占期になくなった軍事基地が約120年ぶりに歴史公園として復元されて歴史文化観光資源に活用されている。

  • 位置 : 木浦市 木浦津キル11番キル 1-5
  • 文化財 : 地方文化財資料第137号 (指定日付 19866.11.08)
  • お問い合わせ : 061-270-8291
  • 풍물패 사람들이 목포진에서 공연하고 있는모습プンムルノリ
  • 목포진 역사공원 정면 전경歴史公園

水軍交代式は、水軍が海の警戒勤務を終えて指揮官に勤務状況を報告し巡将牌(警戒勤務者の身分証)を次の勤務者に伝達して任務を交代する儀式として、3月~10月の4週目の土曜日ごとに木浦鎭址の客舎の前庭で行なわれる。水軍の武芸示範などの行事と真剣ショー、弓道体験、水軍服装体験など異色的な体験が楽しめる。

Update
2018.04.04